クリスマスの約束 風のようにうたが流れていた(2004)のセトリと、ざっくりとした内容と、私の勝手な感想を書きたいと思います。
参考 その他の年の「クリスマスの約束」については↓にまとめております。
目次
4回目の放送「クリスマスの約束2004」は「風のようにうたが流れていた」の総集編
2001年に始まったクリスマスの約束は、ゲストが誰一人来なくて小田さんがひとりで歌った2回を経て、3回目の放送のクリスマスの約束2003では初めてゲストが訪れ、番組は完結したかのように思われましたが、
その翌年の秋、何と!!!
小田さんはTBSでレギュラー番組を制作されました。
クリスマスの約束2004は、このレギュラー番組「風のようにうたが流れていた」から、山本潤子さん、財津和夫さん、鈴木雅之さんをゲストで迎えた時の様子と、オフコース時代のエピソード&楽曲が中心となって放送されました。
クリスマスの約束2004はDVD化されていませんが、風のようにうたが流れていたはDVD,Blu-ray化されています。
参考 『風のようにうたが流れていた』について過去に書いた記事です
『クリスマスの約束』がもっと楽しめる!『風のようにうたが流れていた』のDVDを観た感想レビュー
『風のようにうたが流れていた(完全版)』のDVD収録曲と勝手な感想レビュー
クリスマスの約束2004セトリ
クリスマスの約束2004は、レギュラー番組風のようにうたが流れていたの最終回で、全ての曲を歌い切った後、拍手を受けながら小田さんが退場するシーンから始まります。
拍手が鳴りやまず、観客たちがどんどん立ち上がり、スタンディングオベーションが起こりました。
始まったのは3か月前。練習も含めれば半年も前。80曲で綴った自らの音楽人生。それはあの名曲たちを、もう一度風に乗せて伝えたい、というささやかな想いから。もう、これで終わり!全て歌い切ったのに、拍手が止みません。
CMへ
収録最後の日、予定外のことが起こってしまいました。
鳴りやまない拍手の中、小田さんと、バンドのメンバーが再びステージに戻られます。
本当にどうもありがとうございました。もうこの歳になって、そんなに学ぶべき事とかないかな…と高をくくっていましたけど、こんなことをやってみると、まだまだ学ばなくちゃいけないことは、たくさんあるようです。これからも頑張っていきますから、別に応援してくれなくてもいいけど(会場笑い)また遊びに来てください。
そしてアンコールが始まりました。
キラキラ(小田和正)
小田さんもバンドメンバーも退場しますが、また拍手が鳴りやみません。
そして再び登場!
あんなにレパートリーがあったのに、全部忘れてしまって…
ラブ・ストーリーは突然に
(小田和正)
みんなお帰んなさい!どうもありがとう!元気でね~
そう言って、ステージを去っていきました。
レギュラー番組で放送された歌唱シーンがダイジェストで流れます。
- あめにはさかえ(讃美歌) 少年少女合唱団と
- 銀座カンカン娘(高峰秀子)
- からたち日記(島倉千代子)
- 想い出の渚(ザ・ワイルドワンズ)
- あの素晴らしい愛をもう一度(北山修 加藤和彦)
- 夢で逢いましょう(NHKの番組の主題歌)
- ノー・ノー・ボーイ(ザ・スパイダース)
- バン・バン・バン(ザ・スパイダース)
- 地球はメリー・ゴーランド(ガロ)
- 神田川(かぐや姫)
- さよなら(オフコース)
- 生まれ来る子供たちのために(オフコース)
- Yes-No(オフコース)
- 卒業写真(ハイ・ファイ・セット、松任谷由実)
- 言葉にできない(オフコース)
- Every Breath You Take (ポリス)
- Your Song(エルトン・ジョン)
- Let It Be(ビートルズ)
- Moon River(オードリー・ヘップバーン)
- Somewhere(レナード・バーンスタイン)
- Happy Birthday Sweet Sixteen(ニール・セダカ)
- California Dreamin’(パパス&ママス)
- Hotel California(イーグルス)
- 明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)(サイモン&ガーファンクル)
- 心もよう(井上陽水)
- ファンキー・モンキー・ベイビー(キャロル)
- 心の旅(チューリップ)
- 魔法の黄色い靴(チューリップ)
- 別れの街(鈴木雅之)
- 人生を語らず(吉田拓郎)
- Yes-Yes-Yes(オフコース)
- 今夜だけきっと(スターダストレビュー)
- 明日(小田和正)
- まっ白(小田和正)
全ては終わりました。でも気になるのは、あの時漏らした言葉。本当なんですか?
TBSスタッフとの話し合いのシーン
もうテレビはこれでおしまい、っていう…それでやったんだって…
「おしまいか…」とため息のような小さな声で阿部プロデューサー
もう誰かにメール打ったもんな、もうこれでテレビからは引っ込みますって。もうこれで、あとは自分の最後の整理をして…
「それ、レギュラー始まる前に?」カメラに映っていない別の方
いや、つい最近。アルバム作って、みんなんとこ歌いに行って、お終いかなと思って・・・57,8とかって、体とかもちょっと違うし、体力的なことと、クリスマスの約束で…
(ここで突然切れてタイトル映像へ)
ゲスト:山本潤子さん
再びステージの場面になります。
僕らと言うのは「オフコース」というアマチュアバンドのことですけれども、ずいぶん一所懸命、本当に一所懸命に音楽をやっていましたけども、プロになろうなんて気はこれっぽっちも、マジで、持っていませんでした。ここいらが潮時ということで、コンテストに出て、それを最後の記念にして、活動を終了しようということになりました。
で、そこで出会ってしまったのが「赤い鳥」という5人のフォークバンドです。さて、そこには何と言っても稀代のボーカリストがいました。日本に、それも関西に、こんな子がいたのかとびっくりしました。
山本潤子さんです!
山本潤子さんがステージに登場します。
このコンテストが始まって、トップバッターがなんと、「赤い鳥」でした。彼らの演奏が始まった途端に「負けた!」と確信しましたね、その曲をやるんですけど、この曲はちょっと一時不幸な時期がありまして、僕もよくわかりませんけれど、そんな歴史のある曲なんですけども…
「プレッシャーだなー」 と潤子さん。
稀代のボーカリストですからねー(リラックスさせるどころか、更にプレッシャーを掛けようとする小田さん)
「そういう事…それがいけないっていうの!」
竹田の子守唄(赤い鳥)
初めてステージで歌ったのを聴いた時、本当にびっくりしましたね、こんな人がいたんだって。若かったしね。
小田さんが潤子さんをべた褒めです。このあたりのお二人のトークも面白いですから、ぜひ、風のようにうたが流れていたをご覧ください。
- その後、「オフコース」と「赤い鳥」はいろんなステージで共演したが、「赤い鳥」の人気には勝てなかった
- そんな中、「赤い鳥」は解散してしまい、「ハイ・ファイ・セット」となって、ユーミンの名曲でデビュー
卒業写真(ハイ・ファイ・セット)
ゲスト:財津和夫さん
続いては財津和夫さんとのトーク。
- 「赤い鳥」に負けたコンテストに、財津さんも九州代表の「フォーシンガーズ」の一員として出場していた
- 「赤い鳥」が1位、「オフコース」が2位、「フォーシンガーズ」は6位だった
- 「フォーシンガーズ」が、「チューリップ」でデビュー
- (当時すごい人気アーティストだった)吉田拓郎さんのラジオで、「チューリップ」の曲が紹介され、それを小田さんがリスナーとして聴いて「これがあのフォーシンガーズかよ~」と衝撃を受けた
- 「オフコース」はまだアルバムを作らせてもらえるような状況じゃなかったのに、「チューリップ」はアルバムまで出していて本当に羨ましく思った
魔法の黄色い靴(チューリップ)
「九州の音楽環境が独特で、パワーがあって、みんないっぱい出てきてる」という小田さんの話に対し、財津さんは、「昔は福岡から東京というのは外国くらいの距離があって、二度と戻れないと思っていたから、いったん東京に出てくると、みんな死にもの狂いで頑張るんだ」と仰っていました。
今の話を聞くと、次の曲はとっても辻褄が合うね。
心の旅
(チューリップ)
「今日の僕ら、何か、チャゲ&アスカみたいですね」と財津さん。
何言ってんだよ~、でもチャゲアスも福岡だもんね。そう言えば、あいつらなんかお前に対してこうだもんね(下から持ち上げるという感じのジェスチャー)
「チャゲアス?嘘ですよぉ」
ホントホント、俺ん時なんかそうでもないんだよ。去年やったじゃん?(サウンドコニファー229のこと)財津来たら、急にこうなっちゃって(ピシッとするというジェスチャー)
「嘘だよ~」
俺ん時なんか「小田さんさぁ~」みたいな。でもいいんだ、別に俺はさぁ、あいつらに尊敬されたいって思ってるわけじゃないから(会場大笑い)
※チャゲアスの人気が最高潮だったようです。
そして話は、ユーミンと3人で曲を作った話に移ります。
要約すると、
- ユーミンと財津さんが組むことになったが、ユーミンが「2人じゃ嫌だ」と言って、小田さんに声がかかった
- ユーミンっぽいところは小田さんが書いて、小田さんっぽいところはユーミンが書いた
- 曲は主にユーミンと小田さんが2人で書いて、財津さんは口を挟ませてもらえず、仲間外れにされて居場所がなかった
- 財津さんはユーミンが作ってきてくれたフルーツケーキを食べてるだけだった
- 坂本龍一さんにアレンジを依頼したら、忙しい中引き受けてくれて、徹夜続きで忙しかったが、その場に財津さんはいなかった
- 財津さんは、この曲をいくら聞いても自分の臭いが全くしないが、ヒットしたから「まあいいか」と思っている
今だから(松任谷由実・小田和正・財津和夫)
この曲は、7インチシングルで発売され、その後、CD化はされなかったのですが、財津さんのベストアルバムには、お一人で歌っておられるバージョンがあるようです。
財津さんとの共演は終わり、オフコースが売れなかった頃の話をされます。
- 何人ものシンガーが売れていくのを、その横で見ていた
- オフコースにはお金の臭いがしないと言われていた
- かぐや姫は当時同じ事務所でバーターで前座をやらせてもらった
- かぐや姫のファンには当然ウケず、「最後の曲です」というと拍手が来た
- 家に帰ると母親が必ず「今日どうだった?」と聞いてきたが、親を悲しませてはいけないと、そんな時は「普通」と答えた
神田川
(かぐや姫)
同じ流れで続きます。
- TBSのラジオのレギュラーを同じ事務所の杉田二郎さんのバーターで任された
- 出してもらっているだけと分かっているので、ちょっとひねくれていた
- ディレクターに「ぶすっとすんな、もっと盛り上げろ」と言われたが、そんな器量もなかった
- とにかくウケないので、レギュラーが負担だった
- そんな時にディレクターにテープを渡されて「お前らも頑張ってこんな曲を作れ」と言われて、えらく落ちこんだ
- 曲を書いた人が悪いわけではないけど、その頃の不条理な恨みが今でも続いている(笑)
- 確かに彼の作る歌は、強い歌だった
そんな恨みを込めて歌ってみたいと思います
心もよう
(井上陽水)
そのままの流れで続きます。
- 当時、メッセージフォーク、プロテストソングの影響が大きく、強いメッセージがなければ軟弱だと言われ、「帰れ」コールを浴びせられ、けんかになったりした。
- 愛の唄を歌うだけのシンガーには窮屈な時代だった
- そんな中で北山修さんの書く詩は、すべてを堂々とラブソングという形に包んで表現していた
- 彼の在り方は、僕に多大な影響を与えた
あの素晴しい愛をもう一度(加藤和彦 & 北山 修)
オフコースが売れ出した頃の話に移ります。
僕の音楽人生の中で、オフコースを取り上げない訳にはいきません。オフコースは、2人の時や5人の時、そして4人の時といろいろありましたけど、とりあえず2人の頃の曲をやりたいと思います。
眠れぬ夜(オフコース)
5人になったオフコースの話題へ。
- 今振り返ると、オフコースは僕にとって学校のような場所だった
- 音楽活動は団体戦を戦うチームに似ていて、実際に今日のコンサートは勝ったとか負けたとか言っていた
さよなら
(オフコース)
クリスマスの約束2001で歌われた時はLOOKING BACK2バージョンでしたが、この時の演奏は、ややオフコース寄りでした。
トークなしで続けて曲が演奏されます。
生まれ来る子供たちのために(オフコース)
更に続けて
Yes-No(オフコース)
5人のオフコースが終わる頃の話です。
- 5人のオフコース最後のツアーは日本武道館で10日間連続公演だった
- その後の活動は白紙で、ヤスが抜けることだけは決まっていた
- 全ての演奏を終えて楽屋に戻った時に、武道館公演直前にリリースされたこの曲が会場に流され、帰らずに残っていたお客さんが次第にこの曲を歌い出し大合唱になった
- ステージの袖で見ていてとても感動した
その時の感動を、歌っていたみんなや、その場所にいなかった人たちにも伝えたくて、その時録音されていたその歌声を、僕らの曲に合わせて編集して、その後のベストアルバム(NEXTのこと)に収めました。
YES-YES-YES (NEXT Version)
(オフコース)
オフコースが4人になってからの話へ。
- 5人の頃より、4人になってからの方が長くなって、バンドを続けて行くことはとても難しくなった
- これまでで最長の102本のツアーを回って、この曲は応援してくれた人達への最後のメッセージとなった
君住む街へ
(オフコース)
オフコース解散について。
- 学校はいつかは卒業していく日が訪れるものであり、オフコースの解散をそいう言う風に解釈している
- スタッフから「オフコース最後のライブを東京ドームで」と要望があり、メンバーで相談してやることに決めた
- あの時のファンの人たちの声は今でもよく覚えている
- これはオフコースを想って作った歌
NEXTのテーマ -僕等がいた-
(オフコース)
小田さんのインタビューシーン
内容は「オフコースは、もう一度やらないのか?」という類の質問に対しての答えだと思われますが、小田さんは「オフコースはもう終わった。番組では取り上げてたけど、オフコースはもうやらない」とはっきり仰っていました。
学校なら、同窓会してもいいと思うんですけどねぇ…
ゲスト:鈴木雅之さん
ゲストの鈴木雅之さんがステージに登場。
- 初めて人に曲を提供した相手は鈴木雅之さんで、当時はミスマッチと言われた
- 女々しい曲を書いてくれとリクエストされて、これまで散々女々しいと言われてきて、人に書く曲まで女々しい曲かよ…と思って作った曲
何で女々しい曲が欲しかったの?
「自分自身で、自分って女々しいけど…と言い切れる男らしさを…」とマーチンさん
あ、その感じかぁ、今聞いたよ、はじめて。
「あ、そうなんですか?」笑
当時は意思疎通が図れていなかったようです(笑)
別れの街
(鈴木雅之)
「言葉にできない」に込められた想い
阿部プロデューサーさんが「言葉にできない」に込められた想いについて、小田さんに尋ねるシーンになります。
- 曲が出来てみんなに発表する時は賭けだったかもしれない
- 「嬉しくて言葉にできない」という言葉は、結構リスキーだった
- 生まれて来たことの価値は「人と出会って、嬉しくて言葉にできないようなこと」
- 「あなたに会えてほんとうによかった」は、すごい強い言葉だと思う
言葉にできない
(オフコース)
たしかなこと(小田和正)
じゃあ、また、会える日まで
レギュラー番組の主題歌が最後に流れました。
風のようにうたが流れていた
(小田和正)
この後、エンディング映像が流れ、番組は終了します。
小田さんとTBSが揉め揉め
このクリスマスの約束2004の放送終了後、この番組を見た小田さんは、編集のことで気分を悪くして、「もう番組には出ない!」と仰っていたシーンが、LIFE-SIZE2005にありました。
2003年も画像使用の問題で揉めて、番組が制作されないかもしれないという危機を乗り越えていましたが、今回もTBSスタッフが何とか説得して和解し、クリスマスの約束2005はたまアリでのライブが放送されたみたいですし、その後も毎年番組は続いています。
小田さんが気分を害したのは、どの部分が原因だったのかは謎ですが、2005以降も番組が続いていて、ファンとしてはここで終わらなくて本当によかったと思います。