「今日は一日、小田和正三昧!」
おおお!
いきなり、小田さんの声からスタートでした。
2017年11月23日の勤労感謝の日、10時間ずーっと、小田和正さんに関するラジオ番組『今日は一日“小田和正”三昧』が流れました。
番組は、昼の12:15~18:45までが第一部。
19:20~22:45までが第二部。
こんなの初めてで超感激!
まるでライブの時のように、Twitterも大賑わいでした。
Twitterリアルタイムランキングでも1位になっていたところを見ると、結構、聴いていた人はいたのかもしれません。
どっぷり小田さんに浸ることが出来た、幸せな一日でした。
※2019年11月4日に小田和正三昧~アンコール~(第二弾)が放送されましたが、この記事の内容は第一弾の放送になります。
一部と二部の間に35分ほどの休憩を挟んだだけで、司会の阿部渉アナウンサーはぶっ続け!さぞやお疲れだったと思います。
小田さんは、番組開始から第一部の途中まで。そこで一旦抜けて、第二部は最初から最後まででした。
このラジオでは、小田さんに縁のある芸能人が、小田さんにメッセージを送ってリクエストをするというコーナーがあったのですが、何と!そこに元オフコースの鈴木ヤスさんがメッセージを寄せていました。
第一部の途中に、ふとTwitterを見ると、ヤスさんの公式Twitterから「現在放送中の小田さんのラジオ、21時頃にYASSさんからのコメントがオンエアー予定です」とTLに流れていたのです。
現在放送中の小田さんのラジオ、21時頃にYASSさんからのコメントがオンエアー予定です。
— 鈴木康博 (@yass_suzuki) 2017年11月23日
ええええええ~~~?!
これには本当にびっくりでした!
NHKってすげ~
すぐにプレイリスト&ざっくりとした内容を知りたい方はこちらをクリック
目次
小田和正三昧の再放送決定!
10時間もの長い時間でしたが、小田さんが生放送でラジオに出るなんて、滅多にあることではありませんから、絶対に失敗するわけにはいかない!と、どがらじで予約しておいたら、無事に録音にも成功していました!
NHKラジオにはradikoのタイムフリー機能(過去の番組を遡って録音する機能)がありませんし、たまたまこの番組は「らじる☆らじる聞き逃しサービス」の対象外らしく、タイムリーに聴けなかった人がTwitterで寂しそうに呟いていました。
NHKラジオは予約録音しておかないとダメですね!
↓
2017年12月28日更新
1時間半×2回のダイジェスト版ですが、再放送が決まりました~
放送日時:2018年1月5日(金)午後7時30分~ 午後9時00分
2018年1月6日(土)午後7時30分~ 午後9時00分
阿部 渉アナは小田さんの大ファン!
さて、ラジオ番組『今日は一日“小田和正”三昧』は、小田さんがこの夏、NHKのTV番組『100年インタビューー』に出演したご縁で実現したようで、その時の司会も阿部渉アナウンサーでした。
阿部アナは、中学時代からオフコースの大ファンで、早稲田大学時代は「オフコース愛好会」に所属していたと言いますから、ちょっとどころのファンじゃないようです!
それに、な、な、何と!
阿部さんは、小田さんがライブ中に客席に投げたタンバリンを持っているのです!
『100年インタビュー』の番組の予告で、小田さんと並んでタンバリンを持って写っている阿部さんの写真を見て、「このタンバリンは何!?」と、Twitterでも結構話題になっていました。私も気になっていた1人です。
阿部さんはこのタンバリンを『100年インタビュー』の時にコッソリ持って行って、全てのインタビューが終わった後に小田さんに見せたら、小田さんご本人も「えーー?!」とびっくりされた、とプレスに書いてありました。
『STILL a long way to go』の武道館公演で、「Yse-No」の時に「来た!」と思って立ったら、右手にスポッと入ってきたのだとか。
すごいですね~。
そして、何十年か後に、こうやって小田さんと直接お会いして、インタビューやラジオをご一緒するなんて!深いご縁があったのですね。
でも、『100年インタビュー』の話が来た時、「僕はできません、ファンのままでいたいんです」と、最初は断ったのだとか。「小田さんを怒らせたらどうしよう…」という不安が先にきて、びびってしまったとPressに書いてありました。
長年の憧れの存在ですから、躊躇して当然ですよね。小田さんにインタビューできるなんて、とても嬉しいけど、それ以上に怖い…というお気持ち、お察しします。
今回のラジオでも、緊張しながら一言一言、言葉を選びながら頑張ってる様子が伝わりましたし、小田さんから出てくる言葉に素直に感激して(恐らくウルウルしていたと思われます)「ただのファン」になる様子もとっても可愛くて!
“ただのアーティストの特集番組”の枠を超えた、小田さんの大ファンである阿部アナだからこそできた番組だったのではないかと思います。
阿部さん、本当にいい番組をありがとうございました。
今日は一日 小田和正三昧 プレイリスト
番組で流れた曲の一覧と、小田さんがお話しされたことも、かいつまんで箇条書きでご紹介してます。
オフコース時代の曲でも、小田さんがセルフカバーされている楽曲は、セルフカバーバージョンが優先してかかっていました。
※曲目は、今日は一日〇〇三昧公式サイトより引用させていただきました
01.小さな風景/小田和正
まずはこの時点で一番新しい曲。
2017年7月~9月放送のドラマ「遺留捜査」の主題歌になっていて、放送では初めてフルコーラスで聴けました!
ドラマ「遺留捜査」第4シーズンでいつも流れていた部分は2番だったのです!
このドラマは第3シーズンでも主題曲(やさしい風が吹いたら)
を書いていたので、同じテーマに乗っかって書くというのは大変だったそうです。
テーマ『小田さんの今。出会いについて』
9月に70歳の誕生日を迎えた心境を語っておられました
- そりゃあ、随分来ちゃったなっていう、そればっかりですよ。思いのほか、来ちゃったなーって言う。還暦の時の思いとは、全然…同じようなもんだろうと思ってたけど、ちょっと違うなっていう。
- 数字からくる、6と7のイメージという事もあるし、60だったら、まあそいうこともあるだろうなと。でも70になるとちょっと…ちょっとまだ自分が70になったって言うことが、うまくシンクロできないない感じ、がしますね。認めたくない訳じゃないけど、認めるにしてもなかなかイメージがわかないっていう…
古希は単なる通過点という人もいますが?
いや、そんな風には思わないですね、(しっかりと受け止められていらっしゃると?)わはは、しっかり受け止められているかどうかはわかんないけど、通過点じゃねーなって。
若い頃は、ストイックに完璧に近いものを求めてきた小田さんでしたが、歳を重ねて、ちょっとゆるくなって、許せるようになってきたという印象でした。
今年を振り返ると?
- 去年はツアーをしたから「今年はツアーがない年だった」という印象。”ツアーをする”ということは本当に大変で、”御当地でいいのを撮らなくちゃ”というプレッシャー、喉のコンディションや集中力、持久力、体調面でも総動員しないと、生半可な気持ちではやれない。お客さんの前でニコニコするためには、それなりの準備をしなければならない。
- 時々ジムに行って、いつでも走れるように準備をしている!
小田さんとつながりのある方のコメントを紹介
小田さんに影響を与えた人たち、小田さんのファンの方からのメッセージが紹介されましたが、そこは書きません。小田さんの話だけ。
井上真央さん
真央ちゃんは小田さんと同じ横浜出身で、阿部アナに負けないくらい、中学時代から小田さんの大ファンで、主演ドラマ(ファーストキス)の主題歌(こころ
)を書いてもらったり、2012年の情熱大陸「井上真央が撮る小田和正」で、真央さんが小田さんを密着取材してました。
02.my home town/小田和正
真央ちゃんからのリクエスト曲。今やっているドラマ「明日の約束」も横浜が舞台なので、自分の住んでいた街に行く機会があって、その度にこの曲が頭の中で流れるそうです。
かつて紅白歌合戦の司会で、阿部アナと真央ちゃんが一緒になったことがあって、そのリハーサルの合間に小田さんのお話をして(ファン同士で)盛り上がったのだとか。
歌詞に具体的な場所「根岸線」が出てきた訳について
英断だった。ごつごつしてるし飽きちゃう可能性もあるけど、でもすごく当時しっくりきた。そいうことはぜひ入れたかったし、良かったかなって。よその人がぜんぜんイメージ湧かないかもしれないけど、いいや!と思って。小田さんの心の中の風景。
高島 彩さん
高島さんとは、めざましテレビがきっかけで、お母さまとライブを観に行った後に楽屋に寄ったりして親しくなったそうで、ゆずの北川さんとの結婚式の披露宴で、小田さんが「my home town」を歌ったのだとか。出産祝いには超高級赤ワインを贈ったそう。
高島さんも大好きだと仰っていた御当地紀行について
自分達が見ても楽しい。コンサートのためにやっているという事を除いても、作っていて楽しい。
2005年の軽部さんのインタビューがきっかけで、めざましテレビとの交流が始まり、2008年に番組のテーマソングを書いたそうで、裏番組の『おはよう日本』を担当していた阿部アナは、とっても羨ましかったのだとか。
しょうがねえ、成り行きなんで
03.今日も どこかで/小田和正
高島さんからのリクエスト。めざましテレビのテーマソングだった曲。
過去に「ゆず」とも共演した「クリスマスの約束」ですが、今年のクリスマスの約束2017の収録のお話しをされていました。
会場が千葉で、終電が間に合わないという時間まで収録が押してしまい、最後は時間がなくて、せせこましくなってしまい、それが一番大変だった。
確かに23時過ぎまで収録してましたけど、舞台裏ではそんなことになっていたのですね…納得いくものが撮れなかったのでしょうか???TBSも無料で招待しているのに、お客さんの終電ことなんか気にしなくてもいいのにね。みんな大人なんだし、終電なくなっても何とかしたと思うけどな…もしくはもっと早く開始すればよかったのに。ちょっと残念なお話でした。
今年のクリスマスの約束の見どころについて
小田さんが子供の頃の音楽ヒットチャートは、映画音楽が半分くらい入っていた時代だった。それがヒント。
いろんなアーティストとのコラボレーションの楽しさについて
そこで触れ合って、しかもお互い楽勝で出来るわけじゃないから、苦労して一緒に作っていくという過程を、一緒に過ごしたということが、とっても後に繋がっていく。
小田さんもやっていて楽しかったそうで♪そのお言葉が聞けただけで最高です!OAが本当に楽しみです!
クリスマスの約束2017
OAは、12月25日(月)深夜23:40~25:25です
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オンエアを見た感想です。
04.君に Merry Xmas/小田和正
この曲が使われた生命保険のCMで、NYのブルックリンの橋をプレゼントを持って走ったシーンは、橋を封鎖して7回くらい走った。
小田さんのクリスマスの思い出について
(ご実家が)食料品を売っている店をやっていたため、仕入れたクリスマスケーキが売れ残らないか毎年気になった。クリスマスブーツに飴だのキャラメルだのを詰めたとも。あと、山手の教会に、信者たちがクリスマスをどう過ごすかを知る勉強のために見に行った時のことも素敵な思い出。
山本昌 さん
元中日ドラゴンズのピッチャー。中学の頃からレコードを買って聴いていたファンなのだそう。親しくしている星野仙一監督が主催するゴルフコンペで、小田さんがお風呂に入っていたら、後ろからサインを頼まれたのがきっかけ。昌さんの奥さんも小田さんのファンで、今ではメールをやり取りしているという仲なのだとか。へー。
05.眠れぬ夜(セルフカバーバージョン)/小田和正
山本昌さんからのリクエスト。買ったレコードの中に入っていた曲で、学生時代ランニングしながら口ずさんだと仰っていましたが、小田さんは笑って「本当に聴いたんかい!」とツッコミ入れてました
最初はもっとゆっくりしたテンポだったが、当時のプロデューサーの意見を聞いて8ビートにした。抵抗があったけど、周りにはウケた。
当時、西城秀樹さんがカバーしてくれたことについて
気が付いたらそうなっていた。どう言う経緯でそうなったのかも聞かなかった。カバーされてもあまり実感はなかった。新幹線に乗っていたら西城さんが乗り込んできて、初めて会って、どーも!とあいさつした。
ふかわりょうさん
オフコース時代から大ファンで、「小田さんのメロディや言葉で私はできています!」と小田さんへの愛を、大変熱く語っていらっしゃり、小田さんも有難いと喜んでいました。
ふかわさん、小田さんのファンだったんですね、知らなかった。
06.哀しいくらい/小田和正(セルフカバーバージョン)
ふかわさんからのリクエスト。
※ここで流れたのはたぶん、シングルダイジョウブのカップリングに入っているセルフカバーバージョンです
“かなしい”を”哀しい”という字を使うことについて
この曲を作った当時は「哀」という字に入れ込んでいた。感覚的に悲しいの「悲」という字には違和感があった。最近は「悲」の方かな、とここにきて変わってきて、これからは「悲」で終わっていく気がする。
07.僕の贈りもの /オフコース
08.僕の贈りもの/小田和正(セルフカバーバージョン)
- 小学校・中学校の音楽の教科書に採用された時は、不思議な気持ちだった。
- オリジナル曲を書くにあたり、自分の日記の中から題材を探したらこの曲のフレーズがあった。それっきゃ見つけられなかったけど。
- 冬と夏の間に春を置きましたという「置いた」という表現はなぜ生まれたのかについては、神様みたいな人がいて、そいうことにした、というイメージだった。
- どうやって作ったかは覚えていないが、「転調しよう」という気持ちは常にあった。「転調してないような曲は、しようがない」という間違った価値判断だった。シンプルな曲っていうのすごく嫌だった。1回聞いて覚えるような(簡単な)曲は嫌だった。そこに価値はない!みたいな。今なんか、シンプルなほどいいという…構成も。変わりました!
聖光学院 工藤校長
小田さんは母校である聖光学院の3期生で、工藤校長は11期生。小田さんにはこれまでに、母校の生徒のために3回(40周年、50周年、竣工記念)もコンサートを開いてもらって、新校舎の建築中にも、たびたび足を運んでアドバイスしてもらったのだそうです。
50周年の時の御当地紀行「通学路をたどってみよう」のことも話しておられました。こちらの御当地紀行はLIFESIZE2007で見れますが、後輩たちに対する小田さんの思いが溢れる内容になっていました。
- 「おい、工藤」と、校長を呼び捨てにできるってのが…、なんか楽しいっていうか温かい感じがいいな…と思って。
- トーマス先生っていう前の校長が、「小田君コンサートやりなさい、ギャラはありませ~ん」って言うんだよ。もうね、「ハイ!わかりました!」って感じですね(笑)
トーマス先生がオフコースを後押ししてくれたことについて
当時は本当にかばってくれてね。ほとんどの先生が俺たちがバンドやってることを反対で、受験ちゃんとしなきゃって、他の生徒に悪い影響を与えるからって、そんなことを言われたけど、トーマス先生が「やりなさい!」ってね、言ってくれたんですよ。それがホント宝みたいなことですよね。
09.my home town(オリジナルver.)/小田和正
工藤校長からのリクエスト。my home townは聖光時代のことを歌っている。それを全国の皆さんにも聴いて欲しいとのことで。
青木 功さん
1993年、ゴルフ雑誌の企画で、小田さんがプロゴルファー「世界の青木」こと青木功さんに、アメリカでの公式戦でキャディをやらせてほしい!とお願いしたというご縁。この時、青木さんは2日目に1位になって優勝争いをしたのですが、最終結果は3位でした。
この模様はTVでも放送され、青木さんからボロクソに叱られている小田さんが面白い、と当時話題になったそうです。
叱られましたね~あんなつもりじゃなかったんだけどね、見事にやってのけるはずだったんだけど、いやいやいや…キャディはイメージがあったからね!いつもキャディさんを見てたり、自分なりに間違いなくちゃんとできるって思ってたから、やっぱ試合が始まったら、もう…ステージと一緒ですよ、予期せぬ心理状態になるんだね。自信満々だったのが、ぜんぜん、とんでもなかったですよね。
この番組の反響がとても大きかったことについて
- 大きかったですね~面白かったもん。結果的には、これまでそういうの(素のままの自分)をさらけ出そうっていう機会はなかったですからね、ただこれは全然抵抗なかったですね、どんなにかっこ悪ろうが、面白いから。
- 青木さんって人生の中でほとんど会ったことないわけじゃん?数えるほどしか。もっと言えばこの3日間だけですよ、青木さんと正面切って会ったのはね。青木さんはわかんないけど、俺はとっても青木さんって言う3日間がね、本当に貴重な思い出として残ってますよね。
今でこそ、全米ツアーや、世界のメジャー大会に出場する日本のプロゴルファーは増えましたが、青木功さんはその先駆者と呼べる方のひとりだと思います。日本のゴルフが世界でも通用するんだ!と私たちに教えてくれた人ではないでしょうか。
小田さんがしていた青木さんとの思い出話の中で、青木さんがアメリカでプレイしている時に、アメリカ人相手に堂々と日本語で話しかけていた、というところが印象的でした。日本人は語学に自信がないと、全く自分を出せずに萎縮してしまうことが多いのに、青木さんってやっぱりすごい人だったんですね。
10.風の坂道/小田和正
青木さんのキャディをした時のドキュメント番組のテーマ曲。
歌詞の中には坂道という言葉はないのに、「坂道」をタイトルに使っているのは「負荷をかけている」のだとか。
時任三郎さん
小田さんの第一回監督作品映画「いつかどこかで」に主演で出演された時に初めて知り合った仲で、初めて飛び込んだ映画の世界の中で、時任さんは協力的で、一緒に話し合いながら撮影を進めていったのだそうです。
ぜんぜん(映画の)世界のことは知らないから、リハーサルというか稽古のような場を設けんのかな?現場でいきなり撮るのかな?ってこともわかんないし、誰も教えてくんないし!とにかく、青木さんのキャディじゃないですけど、迷惑かけたなーって思いますね、みんなに。もっと自分が頑張れば、もっといろいろできたのに、まあ、今更言ってもしょうがないですけど。
知らない世界の中に飛び込んでいったことについて
大変ですけど自分で行ったんでね、100年インタビューでもさんざん言いましたけど、とっても大変な思いをしましたけど。携わってくれた人に、もっと尽くせたっていうかね、もっと準備もして、もっと、もっとって言う…でもあれも自分が通ってきた道だし、へへへ…
11.いつか どこかで/小田和正
時任三郎さんからのリクエスト。映画の主題曲。映画の撮影の途中で、主題曲を書きたい!という気持ちが出てきて、作った曲なのだそうです。
渡部篤郎さん
小田さんの第二回監督作品映画「緑の街」で主演で出演されたご縁。1作目の映画製作の経験を映画にした、まさに『歌手が映画製作をする』という話で、小田さん本人の役を渡部さんが演じられました。俳優を30年やってきたけど、あの時の歌のシーンが一番大変だったとご本人が話していらっしゃいました。渡部さんは当時、尖がっていて、周りとは摩擦が生じていたそうですが、小田さんとは気が合ったのだとか。
歌うシーンが大変だったことについて
あれは可哀そうだったね、そっからスタートしたし。現場がいきなり武道館で、お客さんも1万人からいるハウンドドッグのコンサートの現場を借りて、それもすごい話なんだけど…アンコールんとこ出てって、渡部連れて。でいきなり、「これから映画撮るぞー」みたいに。面白い思い出ですね。
映画監督だけじゃなく、脚本、音楽もお一人で担当されることについて
自分が、次、こうなってこうなって欲しいということを、自分で携わりたいっていう…誰かに任せるんじゃなっくて。任せるってのは器量がないとできないとつくづく思うんでね、そういう器量はなかったんですね。
全国に機材を持ち込んで上演するシネマツアーを行ったことについて
1本目は、不条理なことがいっぱいあったし、今はシネコンってのがあるけど、当時はそういうのもないし、音は良くないし、特に地方に行ったりするとね。そいでいい音で観て欲しいって言うのがあって、そういう方法でやってみようということになった。
12.僕ら/小田和正
映画の主題歌「緑の街」が来るか!と思いきや、渡部さん主演の日中合作映画「最後の恋、初めての恋
」の主題歌に書いた曲が渡部さんのリクエスト曲でした。
珍しく二胡を演奏に使っていることについて
中国が舞台になっている映画だから。二胡の奏者の方と昔、中国で会ったことがあって。二胡を入れたいって言った時、その人が日本にいるって聞いて、大感動でしたけどね。彼女も僕のこと覚えてるって言ってたけど、多分覚えてないと思う。
津川雅彦さん
小田さんの映画、2本共に出演された津川さんからはお手紙でした。伊豆の湯ヶ島の露天風呂で4時間、映画の話で盛り上がったそうです。小田さんが映画を作るという記事が出た時に手紙をくれて「出ますよ」と言ってくださったのが始まりだったとか。
大物俳優の津川さんが出てくださることについて
僕らからすれば、映画に出ているスターですよ。それが撮影始まって、で、自分の書いたセリフを、津川さんが一所懸命言ってるのを見て、それがとってもたまらなくおかしくて…って怒られちゃうけど、「あー津川さん、俺の書いたセリフを言ってくれてんな~」って思って、それが不思議でね、そういう感覚でしたね。
このシーン、映画「緑の街」での武田鉄矢さんが演じるプロデューサーのシーンで、実際にありましたね!これは津川さんとの実体験をもとに描かれたシーンだったんですね♪
武田鉄矢さん
俳優・ミュージシャンの武田鉄矢さんは、小田さんとは同世代で、2作目の映画「緑の街」に出演。
鉄矢はね、本当は俺のこと嫌いだと思うんだよね、それでもあいつ、お願いしたら映画に出てくれて。そこで、その嫌いも含めて、鉄矢と近くなれるなーと思って。その後も、そういう事についてはほとんどしゃべってないけど、何かで「小田さんの映画には出なくちゃ」っていうことを、スタッフに言ってくれたらしいんだよね。それがすごい嬉しくって。あいつ、俺を嫌いなのに。
鉄矢さんが映画「幸福の黄色いハンカチ」に出演されていた頃の話になります。
地方のイベントで皆が集まって、次の日コンサートをやる時に、みんなが食堂にわいわい集まってたところに、あいつが初めて、撮影を終えて山田洋次監督のとこから地方に来て、その時の話をみんなにしたわけ。みんなは面白い話だから、健さんがどうのこうの、山田監督がどうのこうのって、それをまた、面白おかしくしゃべるのが上手じゃない?そこで皆が鉄矢を取り囲んでたのに、俺がひとり輪を外れて、隅の方に言って自分の話を聞いてなかったって言うんだよ。・・・それなのに映画には出なくちゃって言ってくれたのがさ、なかなか嬉しくてね。
オフコースの「さよなら」がチャートで1位になれなかった理由は、武田鉄矢さん率いる海援隊の「贈る言葉
」がずーっと1位にいたからだそうで、「贈る言葉」と、クリスタルキングの「大都会
」と、久保田早紀さんの「異邦人
」が、1位を入れ替わって、その間「さよなら」はずーっと2位だったのだとか。
お前、「贈る言葉」が1位だった時に2位だった曲知ってる?って聞いたら、「いや、知らない」って、あ、そいうもんだよなーって話したことはあるんだけど。
13.緑の日々/オフコース
武田鉄矢さんもプロモーションビデオに出演されていた曲。
清水ミチコさん
松任谷由実さんのモノマネで登場。5年くらい前に初めてライブを見た時に、ステージで走ったり、サービス精神が旺盛な小田さんの姿を見て、「本当はいい人なんだ!」って思ったそうです。そんなに最初はイメージ悪かったのでしょうかね(笑)
清水さんは小田さんのコンサートでよく楽屋に訪れるのだとか。
14.Yes-No/小田和正
清水さんからのリクエスト。
いい歳をして「君を抱いていいの」はないだろう、何てことを書かれたりね。70になっちゃうとね、「まあ、いいか」って。
柴門ふみさん
ドラマ東京ラブストーリーの、原作漫画の東京ラブストーリーの作者。お手紙でした。
以前、対談した時に、「ラブストーリーは突然に」は、『男同士の友情の歌だ』と聞かされ驚いたのだとか。(私もここで驚きましたが、当の小田さんは”言った記憶がない”と仰っていました)
小田さんは、柴門さんの御主人である漫画家の弘兼 憲史さんとも親しくされていて、ゴルフをする仲なのだそうです。
15.ラブ・ストーリーは突然に/小田和正
ドラマ東京ラブストーリーの主題歌。
リクエストのコメントで、「この曲を着信音にしている」という話題で、阿部さんが「小田さんの着信音は?」と質問してくださったところ、「僕のは音が出ないようにしている」でした!なーんだ…
佐橋さんのイントロのギターについても話がありました
レコーディングが終わって部屋飲みしていて、あ、合宿みたいにしてたんだけど、そん時にイントロの話になって、”チャカチャチャーン”ってのは、途中で出て来てたんだけど、頭に持ってきたらいいんじゃないか?って言い始めて、そしたら居ても立ってもいられなくなって、スタジオへ戻って、で、頭からやってみたら「おー、いいじゃん、これ」ってことになって・・・
建築家 藤森照信さん
東北大学建築学科時代の同級生の建築家。今年の夏、小田さんと日経アーキテクチャで対談されていましたね。
小田さんのエピソードとして、学生時代から歌声も雰囲気も変わらないなんておかしいとか、ちゃんと貯金をしてそれを引き出さずにどんどん利子が増え続けている、と話しておられました。実は小田さん、貯金が趣味!?
2人そろって明治村の評議員を頼まれたそうで、小田さんは御当地紀行の時に描いた明治村の旧帝国ホテルの絵が、明治村のPRのために採用されたり名鉄のCM曲を書いたりしたご縁で、藤森さんは建築家として歴史建築の側から、と、お二人は別々の道から明治村の評議員で繋がったのが面白いと小田さんは話していました。
ホントですね、建築と決別して音楽を選んだ小田さんが、建築家の同級生と繋がるなんて!
16.さよなら/小田和正
藤森さんからのリクエスト曲。
西本由美子さん(ふくしま浜街道 桜プロジェクト実行役員)
東日本大震災の被災地で桜を植える活動をされている「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」の実行委員長の方です。今年3月の植樹に小田さんも参加され、その直後に小田さんが書かれた公式サイトのピンクのメッセージの中に、お名前が登場した方ですね。
参考
西本さんからのメッセージ
原発事故があったところの高校生たちが、震災前から、日本一の桜街道を作ろうということで、そもそも始まった計画で、でも今は、戻れない子供たちのために、頑張って桜を植えてます。震災後、私たちは国道6号に2万本の桜を植えようとしている時に、ある方の紹介で、小田さんに4年前に協力して頂けるきっかけを頂いて、それから小田さんが毎年毎年桜を植えてくださってます。小田さんが桜を植えてくださったことで、被災地の皆さんとか、やっぱりそこに関わってくれる人たちの、励みの桜の木になってます。あの警戒区域の中を、私たちが今どういう生活しているのかを、被災地も視察して頂いて、現地を見て小田さんはいろいろ考えてくださったような気がします。風化しないように、これからも細く末永く、被災地の我々とお付き合いしてくださればと幸せだなと思います。桜の木を植樹してくれた時にプレートを付けたんですよ。被災者のみんなと、もう一度その曲を聴きたいかなと思っています。
阿部アナ「風化しないようにという思いを込めて。」
17.その日が来るまで/小田和正
小田和正リクエストアワー
小田さんはいったんここで退席。
中盤は、阿部アナがお一人でリクエスト曲を紹介していきます。
18.思いのままに/オフコース
ライブバージョンもかっこいいのでおススメだそうです。
19.夏の日/オフコース(The Best Year of My Life)
オフコースの大間ジローさんが主演、女優の田中美佐子さんが相手役で、ジローさんが空港まで追っていったプロモーションビデオが印象的な曲。
20.愛を止めないで/小田和正
21.愛を止めないで/オフコース
22.時に愛は/小田和正
23.伝えたいことがあるんだ/小田和正
24.風と君を待つだけ/小田和正
小田さんのコンサートで大合唱になる曲。
25.心はなれて/小田和正
■小田さんが外部に提供している2曲
26.この道を行く(「早稲田大学グリークラブ」創立100周年記念愛唱歌)
27.遥かな想い(横浜創学館高等学校校歌)
28.思い出はうたになった/オダ☆レビ
私はLIFESIZE2007で見たのですが、スタレビ25周年ライブで、本番の数日前にリハーサルをしている根本要さんのところに突然現れて拘束して、短時間で一緒に作った曲。要さん、感動してステージで泣いてました。この時の様子はクリ約2010で話しておられました。
29.望むことがあるとすれば/時任三郎
時任さんに楽曲提供した曲。
初めて聞きました。重なる小田さんのコーラスがいい感じでした。
30.wonderful life/小田和正
31.I LOVE YOU /オフコース
↑いくつかバージョンがあるようで、ラジオのリクエストにあった”子供のくしゃみ”が入っているのがこれかどうかは分かりません。
32.さよならは 言わない/小田和正
33.もう歌は作れない/小田和正
34.愛の中へ/小田和正
35.こころ/小田和正
井上真央さんのドラマを思い出します。
36.クリスマスの約束/ゆずおだ
クリスマスの約束2003の番組の中でゆずと一緒に作った曲です。
37.NEXTのテーマ -僕等がいた-/オフコース
小田さんが「オフコースを想って作った歌」と、確か『風のようにうたが流れていた』のMCで話していました。
2016年のツアーのアンコールや、クリ約2016でも歌ってくださって話題になりました。ヤスさんが脱退するタイミングのころに作られた曲です。
参考
40.嘘と噂/オフコース(アズ・クロース・アズ・ポッシブル)
アレンジに坂本龍一さん、コーラスに大貫妙子さんを迎えての楽曲。
41.君が、嘘をついた/オフコース(The Best Year of My Life)
フジテレビ「俺たちひょうきん族」のひょうきんベストテンに出演した時の曲です。
ここで第一部は終了!第二部より小田さんが再び登場!
小田さん縁のアーティストからのメッセージとリクエストの続きです。
鈴木雅之さん
ジ・オフコースのデビュー曲「群衆の中で」のビデオクリップを見て心を奪われたという、かなり初期のころからのファン。小田さんがソロになって一番最初にやった外部との仕事(プロディース)は鈴木雅之さんとだったそうです。その後も小田さんの曲のコーラスを務めたり、イベントに参加されたりとかなり親交が深いようです。なんと意外な組み合わせ!と驚きました。
鈴木雅之さんとのきっかけは
マーチンとこのプロディーサーが、「マーチンにやってくんないか」と言われて、マーチンはあっても「ウッス」って言うだけで下向いているし、こいつ本当やってもらいたいのかな?っていうような感じはあったけど、やってみると、とっても一所懸命で、俺も第一歩だったから、とってもいい人と巡り合ったなと。
鈴木さんと組むことについて周りからは?
水と油でしょ?違うでしょ?って言うようなことはいっぱい言われた。
別の番組で阿部アナと鈴木さんが一緒になった時に、鈴木さんは小田さんから「純粋なラブソングを歌いなさい」と言われて、それから方針が変わったそうです。だから『ラブソングの帝王 鈴木雅之です!』って自分で言ってるんでしょうかね~(当の小田さんは言ったことをぜんぜん覚えてないそうですが)
42.Oh! Yeah! /小田和正
鈴木雅之さんと佐藤竹善さんは、小田さんの楽曲のコーラスを多くしていて、その中でも鈴木さんが好きな曲だそうです。
小田さんが女性を抱き寄せウインクしていたCMの曲です。
マーチンさんが出てきたから、竹善さんも出るかな~♪と期待してたけど出なかった…plus oneの「クリスマスが過ぎても(オリジナルはもっとアップテンポな曲です)」をリクエストしたけど掛らなかった…え~ん(´;ω;`)
43.別れの街/鈴木雅之
“女々しい曲がいい”というリクエストを受けて、マーチンさんのために小田さんが作った曲です。この曲にも小田さんの声が重なっていました。
大竹しのぶさん
小田さんのコンサートには必ず足を運ぶという、オフコース時代からのファンで、40歳過ぎて初めてライブを見に行った瞬間、恋に落ちたのだとか。私と同じだ~
44.たしかなこと/小田和正
大竹さんからのリクエスト。明治安田生命のCM曲。合併前に使われていたCM曲「言葉にできない」を超えていくような曲を!と挑んだそうです。
(明治安田生命の)会社の人たちが「言葉にできないの方がいいよね」って言ったら嫌だな、俺の負けだなって思って…
出だしの”雨上がりの空”について
- 雨上がりの空は好き。みんな好きじゃないですか。さっきも、僕だけ外出て、雨が上がってて「ああ、いいな~」って思わず言っちゃいました。ところどころ空が見えて、最高でしょ!
- 日常、ふとした時に空を見ることを忘れがちですよね?という問いに:忘れませんね、僕は。もったいなくってね、そのまま過ごしておくのが。本当、もったいないですよ、夕焼けとかね。昔から、和歌に歌ったり、いろんな人がそうしてきたように…それを思ったんだろうね・・・
さだまさしさん
小田さんと同じ世代(よりもちょっと下)のアーティスト。クリスマスの約束2007の番組の中で一緒にコラボして曲を作ったことがある間柄です。
さださんはお父様の影響で、読書家で教養があって、一緒にコラボした時も、言葉がどんどん出てくるから、小田さんはびっくりされたのだとか。小田さんが一言を絞り出している時に、2行ずつぐらい出てくるような感じだったそうです。
さださんのコンサートでは曲よりトークが長いという伝説について
すごいよね、HNKでやってるじゃない、生さだ(今夜も生でさだまさし)。あれもさぁ、ハガキ読んで、お前、よく持つなぁって。1曲2曲歌って、1時間ぐらいやるでしょ?よくできるなぁ、死んでもできないね。すごいなって、あれは才能だね。
「少しステージでしゃべるように努力してください」というさださんのコメントを受けて
(うるせーなーとおっしゃったそうです
)なかなかMCはね、ダメですねー、いい時もあるんですけどね、今日うまいこと言ってんな~って時もあるけど、大体ダメですね。一所懸命考えていくんだけど、どうもうまくいかねーなー、おかしいなぁ
オフコース時代よりもMCの時間が増えたことについて
オフコース時代はしゃべんなかったからね。良かったね。あれ。しゃべんなかったからと言って、伝えなくちゃいけないことが残っちゃってるわけじゃないからね、十分伝えてたから…
二人の頃のオフコースの時はしゃべってたことについて
結構しゃべってたね、周りがしゃべる状況だったからね、しゃべれないとダメみたいな。(当時のフォーク、ニューミュージックの皆さんは)達者なのがいっぱいいたから。
45.woh woh/小田和正
クリスマスの約束2007で、さだまさしさんと一緒に歌った曲。JRA競馬のCM曲だった曲。
競馬のCM曲だったことについて
それが一番不思議でね~よく通ったな~と思って。woh woh~って。中央競馬会でwoh woh~ってどうなんだろうって。
ソロになってから歌い方が変わってきたことについて
それまで歌ってのにあんまり真剣に考えてこなかったですよね、ついてればいい、楽器の一部ぐらいの。でも、そうじゃねーぞと、一人になってから改めて、もうちょっと「伝える」っていう気持ちで歌わないと、せっかく歌詞も書いてるしね。そっからですね、追及が始まったのは。
アルフィー 坂崎幸之助さん
学生時代の1973年ぐらいから、二人だけだったオフコースの頃の曲を聞き出したそうで、憧れの存在だったとか。泉谷しげるさん、吉田拓郎さん、小田さんが中心となって行ったライブ「日本を救え’96」に坂崎さんも出演されてました。
46.別れの情景(1)/オフコース
坂崎さんからのリクエスト。当時、サビで半音上がるコード進行に驚いたそうです。
“半音上がる”について
そうなんですよ、半音上がって…ややこしいことをやってたんですよ。
力に余る曲で…そいで、転調したでしょ?転調したはいいけど、どうやって戻ったらいいのか、それがいいくら考えても…戻んなくても良かったんだけどね、考えると。戻るの大変なら!
この頃から既にストリングスを入れていることについて
あー辛かったですねー、ストリングスの人たち怖かったですからね。時代がね、僕らより若いミュージシャンいなかったし、みんな年上で、みんな俺はクラッシックやってんだ、みたいな人ばっかりで、ちょっと譜面が間違ったりすると、これ見よがしに間違ったとこ弾いたり…いじわるみたいですけど、しょうがないですよね、こっちが悪いからね。そいでもう、ストリングスはすごく辛いから、現場が。でシンセサイザーでストリングスに代用できるようなものが出てきたから、気楽ですからそういう楽器でやっていたら、で、何年もして、久しぶりに弦を生でやってみたら、やっぱ弦はいいな―と思って、自分より上の人がもういなくなって、自分よりも下の人がほとんどになってきて、随分気が楽になって、そっから生の弦を使うようになってきたね。
財津和夫さん
1969年ヤマハライトミュージックコンテストで、ライバルとして一緒に戦ったのが最初の出会いで、今では大事な友達なのだそうです。財津さんと小田さんと、松任谷由実さんと3人でコラボした経験もあり。
かつて、電車で会った別れ際に、小田さんのズボンにクリーニングのタグが付いているのを見て、ますます小田さんのことが好きになったと話してました
「今だから」の制作について
具体的に書いてかなきゃいけないから、アイデアはそこそこに、順番に書こうという事になって、ユーミンが1行目を書き始めて、出来たからあとの続き書いて…て。揉めなかったですね、ああ、いい、いいって。お互いに、いい、いいって言いあって。
新しい発見はあったのか?
まず、そういう字書くんだ!みたいな、そういう字を書いて詩を書いてんだーみたいな、三者三葉の字だったから。なかなかスリリングだったね。
出来上がるまでの時間は
早かったね、最初に曲だけ書いて、それもユーミンから始まったかな・・・?よく覚えていないけど。そいでもう1回後日集まろうって言って、集まってすぐ詩を書き始めて、その日でスッと書いて。だからすごく刺激的だったなと思って。(演奏のメンバーも豪華だった)豪華でしたね、坂本(龍一)君がプロディースしてくれて。
47.今だから/松任谷由実・小田和正・財津和夫
1985年の野外ライブ「ALL TOGETHER NOW」で披露。吉田拓郎さんとも「Yes-No」を演奏されたそうで、よい思い出なのだとか。
シングルレコードには、カップリングにはバラードバージョンを入れたのだとか。CDにはなっていない曲です。
ヤスさんインタビュー
鈴木康博さん
小田さんに縁のあるゲスト、ラストはヤスさんでした!
鈴木康博さんからご覧になって、小田和正さんというアーティストは、どんなアーティストだと見てらっしゃいますか?
いつもヒット曲を作ってるんで、よくネタが尽きないな…みたいな感じで、感心してみてますけど。はい。
オフコース時代、一緒に活動されている時はどのように見てましたでしょうか?
とにかく集中力がすごいんだなって思いました。それから、もう声がね、あの声、歌い声聞いただけで、あ、もう、小田さんだって分かるような感じですからね、それが悔しかったですね。(笑)すごい、ああ言う、声の持ち主っていうか、天から授かったものなんで。羨ましかったな~
そもそもオフコースとして、プロになる前からのご友人、だったわけですもんねぇ、最初は電車の中でイタズラしている小田さんを見かけたとこからスタートだとお聞きしてますが。
(笑)はい、そうです。
人柄はどんな感じなんでしょうか?
まあ、明るいですよ。ジョーダン好きだしね。まあ、割とこう、人を引き付ける、カリスマ性ってんですか?そういうのはあったような気がしますね。まあ、しばらく小田とも会ってなくてね、NHKってのはすごいな~と思いましてね、いきなりインタビューですよ、私のところへ。(裏方の笑い声)NHKさすがだなと思ってね。阿部さんもいらしていただいて、いいんですか?これで?と、本当に思いましたけど(笑)
いきなりですみません…本当に。逆に、よくインタビューを受けてくださったな、という…感謝の気持ち…
これ前にもね、名古屋のNHKだったと思うんですけど、TVに出た時に、プロディーサーの方が、小田に手紙を頼んでね。で、普通、だって、いきなり頼むんですよ、すごいでしょ?それも。それで小田から手紙本当に、貰ったんですよ、私は、それの借りがあるんでね、今回それに応えなきゃいけないんということで、小田さんにどうぞよろしくお伝えくださいと思いますが。
参考 この時の様子を小田ファンの大先輩であるつうさんが記事にしておられました。(つうさんのごちそうちょうより)
10/27放送「情報フレッシュ便さらさらサラダ」鈴木さんゲスト
先日、100年インタビューという番組で、小田さんにインタビューさせてもらった時に、鈴木さんから、いろんなことを教わったと、音楽的に、と言う風に小田さんが仰っていたんですね。
それは、僕も小田からいろいろ教わりました。やっぱり、あの、学生の頃って、音楽の教育を受けてないでしょ?なんで、五線紙書いたりするのっていうのは、小田の方が、学生時代コーラスやってましたからね、合唱団にいて。そいう意味じゃ、ちょっと先行ってた感じだったので、いろいろ教わりましたし。それはお互い様ですよね~ええ。
それこそオフコース時代は、二人の頃からも含めて、濃密な時間をお過ごしになったと思うのですが、その頃、今振り返って、どう言う風に思われますか?
いやーもう、宝です!やっぱり、オフコース時代があったからこそね、音楽に情熱を持ってやれているし、本当にオフコースの頃は、いろんなこと勉強になったなと思いますしね。いい時代だったと思います。それを今に、これからにどれだけ生かしていけるか、みたいなところでやってますからね、どれだけ長くできますかね、本当に、先が、これからの道が見えないというところで、何があるかわからないというね…ところなんで。まあ、ずっとね、声が出る限りはね、やり続けられたらなと思っています。
いきなり押しかけてきて、本当に申し訳ございません。で、小田さんの曲の中で、リクエスト、頂けたらと思うんですが…
あー、そうですねー、「ひとりで生きていければ」っていうのが好きだったです。
これはどうしてですか?
やっぱり時代でしょうね、オフコースやり始めて、なかなか日の目を見ないしね、努力が報われないって言うか、そんな悲壮感はなかったんですけど、やはり、その頃の気持ちを素直に、こう、詩にできてるなーという、まとまった曲なんですよね、そんなんで、まあ、好きでしたね。
歌詞の中には、”ありふれた幸せに背を向ける勇気が欲しい”っていう…
(笑)よくご存じで!今すぐ出てくるのが、すごい!さすがに!さすがですね~
いやいや…逆に悲壮感とか…そいうものは…まだヒットする前ですもんね?
全然前です!これからどうなるかわからないという中で、やっぱりこう、覚悟って言うのか、心に秘めてるものを、ああいう歌にできるっていう、詩という形にできるっていうのは、すごい力だなって思ってましたね。
最後に、小田さんへメッセージというか、スタジオにいる小田さんに向けて頂ければと思うんですけど。
僕ももう70…まだなってないですね、一つ下で。やっぱ声とか、ちょっとかすれて来たり…やっぱりステージ、それなりに気を使うところがあるんだろうなーとお互いに思うんで、まあ、頑張って頂きたいという…ね、そういう感じです。お互いに、それぞれの、アーティスト活動を頑張りましょう!ということです。
小田さんの話
いやー、すごいのとってきましたね~、びっくりですね~もう…あり得ないですねぇ、これはやっぱり、その、消化するのにしばらく掛りますね…へへ、「ひとりで生きていければ」っていうのを挙げてくれたことも、含めて…俺はすごく、あいつから学んできた。あいつが俺から学んでるとは思わなかったし、そんなことも初めて聞いたし…いやーーー、びっくりしましたね。
スミマセン、感動しちゃって…(阿部アナ泣いてた???)あの頃のことを宝物と仰ってましたね。
まあ、宝物だよね。うーん…
そして、今回のきっかけとして、NHKの名古屋放送局の番組に鈴木さんが出られた時に、小田さんが手紙をだされたという事…まあ、NHKがいろいろ余計なことをしてるのかもしれませんが、その際のお手紙は覚えていらっしゃいますか?
いや、どんなこと書いたんだろ?あるの?
ネットでの情報なんで定かではないんですが、例えば、高3の聖光祭でのこと、洋楽をコピーして楽しかったこと、自分たちで歌を作り始めたころと数えきれないキラキラした思い出を共有してくれている人がいるということを嬉しく思っていますよと、そいういったメッセージを
ああ、書いた、そう、間違いない。
それを嬉しく思ってますという、それへのお返事と言いますか…まあ、こちらとしても、鈴木さんにどこまで伺っていいのかという、緊張しながらだったんですけど
いや、びっくりしましたねー
この「ひとりで生きていければ」。これを挙げてくださったのも意外だと?
それをそういう評価をしてくれてるとは思わなかったから、勝手な自分の思いで、もちろんバンドの意思として、曲は書いてるんだけど、その詩について話し合った事も無いし、まあ、届いてたんだな…っていう。40年ぐらい前でしょ?これ(そうですね、1976年…)40年以上だね
ご自身の中ではどういう評価をしている曲なんでしょうか?
もう、本音なだけで、本音を歌にしたっていう。だからヒット曲とか、そういう感じではなかったね。でも若いし、こういうことになるんだよね、よっぽどの別の器量を持ってれば、ポップなシングル、まあ、「眠れぬ夜」みたいなこともあるだろうけど、本音からね、常に本音でしかできないから、
それがこの曲の持つパワーって言うか…
パワーって言うか、どこにも伝わってってないからねー、君には伝わってるかもしんないけど。パワーと言えるかどうかわかんないけど、その頃、残したもんだよね。
”ありふれた幸せに背を向ける勇気が欲しい”っていう歌詞は、ものすごく大きな決意なのか・・?
もう、ありふれた幸せに背を向けるしかなかったんだよね、強がりで、
そのオフコースとしても二人の頃からいろいろと、メンバーも徐々に増え始めようかという時代だったでしょうかね?いろいろ試行錯誤されてた時代かと思いますが。ではこの曲、聞いてみることに致しましょう…
48.ひとりで生きてゆければ/オフコース
49.縁もゆかりも/鈴木康博(Another Select +)
ヤスさんの新曲です。サビが耳に残る、なかなか素敵な曲でした。
ヤスさんご自身が選曲したのかどうかはわかりませんが、「いいのが出来たからぜひ聴いてよ!っていう」小田さんへのメッセージなのかな?
私はそんな風に解釈したいと思います!
(来年のクリ約で二人でやって欲しいな…)
小田さんの今後のこと
なかなかガードが固くて、今後のことを話したがらなかった小田さんでした。
来年の予定で具体的に決まっているものは?
出来るだけ早く決めたいと思っている
曲を作るペースは来年も続いていくか?
ほっとくとだらだらしちゃうんで、短い期間で仕上げてくというような馬力を培いたい。
アルバムの予定は?
いやいや、それはぜんぜん、予想だにしていない。全くそんなことは起こらないと言い切れないけど、アルバムというのは一筋縄ではいかない。自分が楽しくなるようなアルバムが出来たら嬉しいですけど
ツアーをして欲しいというリクエストメッセージがたくさんあることについてどうですか?
どうですか?ってそんな誘い水に乗ってたまるか!うかつには「はい」とは言えないけど、何か、今、ドカーンが大きかったからね、メッセージびっくりしちゃって、その余韻が…
70歳を迎えて時間の進み方は早くなっているか
60から70になって、さらに早くなったという予想の範囲だけど、体力的な事や記憶力が予想を越えて。それと戦うことは結構なことだと思う。黒澤監督とか80過ぎてから映画を撮ってる人がいるのはすごいなーって(何故にここでアーティストじゃなくて映画監督と比較?もう1本映画撮るつもりでいる?)
小田さんなりの時間の上手い使い方は?
あるわけではないじゃん、俺だって下手なんだから!午前中をうまく使えってことかな、夜型とかダメだと思うな~本当はね。(午前)10時前に何か一つできたよーっていうのが理想だけどね、素敵だよね。そりゃ戒めだよ、自分の。(小田さんは早起き苦手?)昼まで寝てるってことは無いけど、ついニュース見たり、録ってあるものを見たり、ちょっと一服しようかってことになったらすぐ昼になっちゃうからね、これりゃいかんね。
“人生は思い出をいっぱいつくったものが勝ち”と常々言っていることについて
少し前まではそう言っていたけど、最近は、あんまりいっぱい思い出を作ると、死んでく時に寂しいかなと。
LIFESIZEの”来年の今頃はどうしてるんだろう”というコメントについて
それもちょっと前まではそう言う風に言って来たけど、だんだん”来年の今頃は何してるんだろう”という気持ちもなくなってきたなー。いろいろ変わってきた。自分が本当に好きだと思える曲を書くんだとか、そういう絞られた感じになってきたね、歌いたくなるような、歌って聴かせたくなるような、人に聞かせたくなるなんてことはほとんど無いからね。言えるような。そいうのはいいな~そういうのは、ほっといて出て来やしないから、知らない内に浮かんでたとか、そいう言うのは僕にはなさそうだから、考えて…(自分を追い込むってことですか?)あ、こんなとこに歌うのがあった!みたいなのが、いいよね。
変化の中でどうなっていくのかファンの皆様も楽しみにして…
いや、あんまり楽しみにされても負担なんで、何か、片隅に置いてもらうぐらいで。僕が今言ったのは、ただの希望だからね、(期待をしつつ)まだ自分に期待していいぞーっていう部分はちょっとあるぞ~ってことかな。結果わかんないけどね。(そいうご心境なんですね)どーなんだろ、俺また余計な事言ってるか?そんな気がする…
小田和正リクエストアワー パート2
ここからは小田さんと一緒にリクエスト曲を紹介するコーナーに戻ります。
50.あの頃にとどけ/島倉千代子
小田さんが他の方に提供された曲ということで、小田さんが子供の頃に人気で「からたち日記」などを聴いていた島倉千代子さんに、曲を提供した時の話になります。紅白でも歌ってもらったそうで、曲を作った時は不思議で「何が起こっちゃってんだろう」という感じだったとか。
制作中はどんな触れ合いがあったか?
お千代さんがしんどい頃だったから、しんどい方に合わせた録音じゃなくて、一番元気な時の感じが欲しかった。低いキーで彼女は歌いたがったけど、何とかここで歌えないかなと思って、ファルセットもうまく使って欲しかったし。したら段々出るようになってきましたって毎回いってくれて、それでいいのが録れたかなかな。
51.キラキラ/小田和正
深津絵里さん主演のドラマ恋ノチカラの主題歌だったという印象以外に、ライブでは大変盛り上がる曲。
この曲でコンサートでマイクを向ける人をどう言う風に選んでいるのか
歌ってくれそうな人。ただ見てるだけの人には行かないですね、歌うぞー俺んとこもってこい!って言うような人たまにいますけど、喜びますよねー。
歌いながらご覧になっているんですね?
みますね、向けると急に引いたり、緊張しちゃったりするんだね。
52.秋の気配/小田和正
かつての曲を再びリメイク(ルッキングバック)する時はどういう所から手を付けるのか
オリジナルの方で気になってることを直すというか、別のアプローチでやってみたいと言う(それはずっと前ですよね?それをずっとおもっていらっしゃったと?)そうそう、踏ん切りが悪いんだよね。
納得した感じにはなるのか?
一時、納得した感じにはなるんだけど、だんだん時間が経っていくと、あーあれで良かったのかな?ということも多いですね。
更にルッキングバックが続くという事も?
いや、もう、まあ、一回やったら打ち止めだ…
他の方に提供した曲も小田さんの声で聴きたいというリクエストが多く来ていることについて
そりゃどうなんでしょうね、その人に一番合うと思って書いてるんだからね。(ご検討いただけたらと思います)はぁい。
他にも、この「秋の気配」は、別れを告げようとしている身勝手な冷たい男の歌(ご自分のことらしいと前にMCで話したようです)なのに、人気があるのが不思議だ…というような話もしておられました、
53.僕らの街で/KAT-TUN
KAT-TUNに提供した曲で、2006年の亀梨和也君主演のドラマたったひとつの恋の主題歌。亀梨くんは最近のソロライブでもこの曲を歌っているのだそう。
どんな現場でしたか?
いい現場で、いいバンドで、曲書いてよかったな~と思ってたらいろんなことになって。でも亀梨くんが歌ってるってのを聞いて、とっても嬉しかったですね。
無茶ぶりでピアノを…
54.言葉にできない/小田和正
“言葉にできない”ことを歌で表現されたことについて
偶然辿り着いたんですよね、歌詞が鬱陶しくなったときが…歌詞を考えるってことがね、何か、歌詞がないのに届くような方法はないかってことでいろいろ考えて。毎日毎日考えた訳じゃないんだ…たまたまふっとそこに行きあってね
「over
」の時ににスタジオに残って作ったことについて
ツアーの核になる曲をと思って、みんな帰って、俺だけ残って、弾いている内に、だんだんね。生まれましたね~
「東京都の阿部という人」からのリクエスト
『歌とは言いません、言葉にできないのメディをちょっとピアノで弾いて頂くわけにはいかないでしょうか?』
何、これ、阿部アナから!?
もしくは、阿部アナを装ったNHKスタッフからのリクエスト!?
スタジオにピアノが置いてあるそうで、小田さんに無茶ぶりしようとしています…阿部アナは聞いていなかったのか、あたふたしている感じがします。声しかわからないけど。
そのために置いてあんのか…でも声も出ねえし…
小田さん、困っているように聞こえます…そうですよね、歌う準備はしてないですよね~ HNKさん、小田さんに無茶ぶりやめて~!!!!
昔みたいに、怒ってスタジオ出て行ったらどうすんのよ!?
ちょっとザワザワしてましたが、でも小田さん、『終わるはずのない愛が途絶えた 命尽きて行くように』まで弾きながら歌ってくださいました!!!!
(パチパチ)
すいませんね、ちょっとだけで
いや、こちらこそすみません、無茶ぶりで
無茶ぶりだよね!?
どうもこう、スタッフからの圧力が…
あ、そうなの?ヤスのメッセージと言い、HNKは結構強引だね?
すいません、何か…
いやいや
ズカズカ入り込んでいく感じが…
驚きましたよ…
小田さん、怒ってないかな…?「もうラジオなんて、出ねえ~」とか言わないかな、ドキドキ…冷や冷や
心臓に悪いです…
曲の後、「あまり強引だと小田さんすねちゃうからほどほどにお願いします」という、私と同じようなことを考えているファンからのメッセージが読まれました。
ホントホント、NHKさん、無茶ぶり、怖いからやめて~~~!
いやいや、もうそんな歳じゃないんで…
スタジオから出て行かなくてよかった~~~
55.YES-YES-YES /小田和正
1982・6・30武道館コンサート (10日間連続公演最終日)の終了後に、お客さんがこの曲を大合唱してなかなか帰らなかったという思い出深い曲。
キーが高いから、かれない様に最後の方に歌うようにしているそうです。
いつからかツアースタッフの人たちもコーラスで大合唱するようになったのだとか。
みんなに手伝ってもらって盛り上げたいと。楽しいですね、ああいうのは
56.生まれ来る子供たちのために/小田和正
この曲を書いた頃は「このままじゃいけないな」という気持ちが常にあって、それをメッセージにした曲なのだそうです。”守りたまえ”という歌詞は、キリスト教の学校に行っていたため、日常的にでてくるので全く抵抗なく出てきたとか。
若いアーティストたちが、何人もカバーしてくれて嬉しかったそうです。
57.小田和正 東北大学 校友歌 「緑の丘」(東北大学 校友歌)
震災の後に東北大の総長さんが直接手紙をくれて、書くことになった曲。(クリ約2013にその時の映像がありました)
そのキャンパスはもう俺が書いたようなものではなくて。今の現役の学生たちは、俺が歌ってる景色を知らないんだけど、そこは我慢してもらって、想像して欲しいって言ってるんだけど。
東北大は今年、創立110周年を迎えて、つい先日行われたホームカミングデーには小田さんも出席されたようです。
58.君住む街へ/小田和正
去年のツアータイトルにもなった曲。
とっておきのタイトルでしたね
もう一度聴きたい小田ソング
リクエストの多かった曲をもう1回流すという企画。
リクエスト総数の多かった曲は、3曲ほとんど同数で、
- 秋の気配
- 言葉にできない
- たしかなこと
だったそうです。その中から小田さんが選びました。
59.たしかなこと/小田和正
10時間にわたる番組がこの曲で締めくくられます。
小田さんの一言
最初は長いな~って、途中なんか思ってたんですけど、だんだん終わりに近づいて、今日は本当に、メッセージをくれたアーティストの方たちとか、もちろん視聴者の人たち、とっても大切なものを頂きまして、これをなんとか形に変えて、出来るだけ早く、お返ししなくちゃいけないなって言うつくづく思いましたね、どうもありがとうございました。
小田さんの今後の夢は?
今聴いてきて思ったけど、自分の好きな曲が書けたら、どんなにいいだろうって、やっぱりつくづく、それがあっての全てだなーと思ったんで。もういいんじゃないの?って言われるかもしれないけど、でも、自分が、あ、いいなーって思う曲を書きたいですね。1曲で、2曲、1曲でいいから。へへっ
ファンのみんな、リクエストをくれたみんなへ向けてのメッセージ
なかなか、直接は思いを受け止めるような機会は無いんですけど、今日は本当にいい機会を与えて頂きまして、さっきも言いましたけど、何かの形でお返しできればいいなと強く思っております。ありがとうございました。
メール総数6300通を越え、Twitterの呟きは数えきれないということでした。
10時間、長いと思ったけど、実際に聞いているとあっという間でした。
小田さん、阿部さん、お疲れ様でした~
私がリクエストした曲が掛らなかったのは残念ですが、普段あまり聴けない曲も掛かって、楽しかったです!
ありがとうございました。