日本旅行のツアー「観る味る北京4日」の3日目に訪れた「故宮(こきゅう)」について記事にします。
故宮は、かつては紫禁城と呼ばれ、明王朝の時代に作られてから清王朝が終わるまでの約500年間に渡り、皇帝一族の館であり政治の中心地でしたが、何十年か前に映画ラストエンペラーを見て以来、「死ぬ前に一度は紫禁城を訪れてみたい!」と思っていました。
ラストエンペラーは1987年に米アカデミー賞で9部門受賞を果たした作品ですから、今回のツアーで約30年越しの念願が叶ったわけです!
いろいろな世界遺産を巡れるツアーでしたが、「故宮」さえ観れれば後はどうでもいい!とさえ思っていました。それくらい期待に胸を膨らませていたのでした。
そして、ようやく訪れることができた念願の「紫禁城」は、私の期待を裏切りませんでした!!!
めっちゃ素晴らしい!本当に素晴らしかったです!
ツアーなので仕方がありませんが、もっと長く、できれば「故宮」に丸1日滞在して、細部までじっくり観ておきたかったです。
「故宮」だけは、できればもう一度訪れてみたい…
それくらい深く心に刻まれました。
参考 今回の北京の旅については、高齢者の母と行く北京ツアー旅行 にまとめております。
目次
故宮のツアー観光コース
このツアーで巡った故宮を回ったコースは↓の通り。
故宮にはたった2時間だけの滞在でした。さ~~っと通り過ぎただけ!
ツアーだから仕方ないけど、(また言ってる…)もっとゆっくり見たかった~
めちゃくちゃ心残りです。
一番楽しみにしていた故宮の観光は、ツアーの後半(3日目の午前中)でした。わくわくしながらホテルを出発しましたが、平日朝8:30に北京駅前にあるホテルを出発したのに、朝のラッシュの大渋滞に巻き込まれ、午門の近くに到着するまでに1時間もかかりました。Googleマップでは15分の距離なのにね…それくらい北京の道路の渋滞は深刻でした。
車で移動する人は、時間が読めないので気を付けてください。
中国では(北京だけかも)、これ以上車が増えないようにするために、ナンバープレートの取得は抽選制なのだとか。免許を取って、車を手に入れても、実際に路上で乗るには抽選に当たらないとダメらしいです。
とにかく広いので、よく歩きますし、ヒールのあるものは石畳に引っ掛かりますから、できるだけ歩きやすい靴がいいと思います。
東華門~午門
故宮の東門である東華門(東門)の手前で車を降ります。
ここは出口専用。業者の車や従業員らしき人が出入りしていました。
東華門~午門(正門)までの城壁沿いを少し歩きます。そして角を曲がると…午門が見えました↓!
正面の皇帝専用の入り口付近が、残念ながら工事中です。
午門は、十二支の午の方角(南)にある門であり、南から北に向かって建築物が並んでいます。
中国では格式の高いもの(偉い人)ほど北に据え、南を向くように配置されているため(天子南面す)、故宮の建物のほとんどが南向きになっています。
ガイドさんが入場券をGETしてくれている間、15分ほど午門周辺を散策・撮影し、列に並んで、いよいよ午門に入場です。
【ラストエンペラー聖地1】午門の表側
午門を正面から見たところ↓。すごい迫力でした。大きすぎてレンズに収めきれません!
まさにここは、映画ラストエンペラーの世界、そのまんまでした!
↑出入口は3つあって、真ん中は皇帝専用です。
ラストエンペラーの映画の冒頭で、幼い溥儀(ふぎ)が死にそうな西太后の命令で紫禁城に呼ばれ、まだ薄暗い明け方に乳母と一緒にお輿に乗ってこの午門を入っていくシーンがありましたが、この時はまだ皇帝ではないので3つある出入口の左側(西側)から入っていきましたが、紫禁城から追放されるシーンでは真ん中から徒歩で出てきていましたね。
↑は、宦官(去勢した男の役人)たちの横領を疑った皇帝溥儀(ふぎ)が、改革のために財の管理を調査する!と宣言した途端に宝物殿に火を付けられ、彼らの隠蔽工作に怒った溥儀が宦官全員を城から追放する…という場面で、男根を持って紫禁城から追い出される宦官たちを、皇后らと一緒に眺めていたシーンを撮影したロケ地です。
溥儀が立っていた東側の門楼を、行列に並びながら撮影↓。
※イマイチな写真でスミマセン。
門楼のコーナー部分に立った溥儀が、右へ歩きながらメガネを掛けて、下の様子を見ていたら、皇帝の存在に気が付いた群衆が全員ひれ伏す、という場面でした。
この門楼の上は、故宮博物院(午門の内側)の入場券を購入すれば、誰でも追加料金なしで上れるようです。
門の上から同じ風景を見ることが出来ますし、端門、天安門も望むことができるそうですが、このツアーでは登りませんでした…これから故宮に行かれる人は、ぜひぜひ上ってください。
午門(ごもん)
そしていよいよ、午門から故宮の内部に入ります。
「門」とは言え、かなり奥行きがあります。トンネルのようになった通路を歩くと…
太和門です↓。
また「門」かいこんなに立派なのに、まだ「門」なのです…
太和殿に至るまでに、外門の天安門、端門、午門、そして内側には太和門と4つの大きな門があり、天安門の南にある正陽門(前門)まで入れたら5つ…かな?
中国では格式の高い建物の前には、たくさんの門や建物を建てるのが習わしなのだそうです。なので、中国の人が日本の平安神宮などを訪れても、「え?こんだけ?」と、あまりにもしょぼくて驚くそうです。確かにこのスケールを見慣れていれば、ちっぽけに感じるでしょうね。納得です!
【ラストエンペラー聖地2】午門の内側
↑母親が亡くなったことを知らされ、悲しみを抱えながら、ひとり、自転車で午門に向かう溥儀でしたが、たまたま門が開いていて外に出ようとしますが、門番たちに扉を閉められて阻止され、怒った溥儀がペットのネズミを扉に叩きつけるシーンのロケ地です。
太和門(たいわもん)~太和殿(たいわでん)
太和門までの道のりも長い長い。さすが中国、壮大なスケールです。
太和門の内部。
太和門内部の扉をくぐると…
【ラストエンペラー聖地3】太和殿前の広場
ようやく太和殿が見えますが、ひ、ひろい!遠い!
この太和殿は、3歳にも満たない幼い溥儀が、皇帝に即位をしたシーンが撮影された場所であることは言わずもがなですが、他にも、少年の溥儀が、城から追い出される乳母のお輿を追いかけたシーンもここだと思います。
昔、沖縄の首里城を訪ねたときに、意外とこじんまりしている…と思ったのですが、こちらは本当に広い!
日明貿易(勘合貿易)などで大陸を訪れていた日本の使者たちが皇帝に謁見できていたなら、恐らく紫禁城にも足を踏み入れたのだと思いますが、この規模にはさぞや、おったまげたことでしょう。
中国の皇帝って本当にすごい力を持っていたんですね。
中国の力ってすごい~!まさに圧巻でした。
↓は太和殿前の広場に敷かれた石の写真です。右半分は、明時代に作られたものがそのまま残っているそうですが、敵が穴を掘って侵入してくることを恐れて、5m下まで石が敷き詰められているそうです。
こんな広い場所を5mも掘ったら、さぞや土が出たんでしょう!故宮の裏手にある景山公園は、紫禁城を建設した時の土を積み上げてできた山なのだとか↓。
ひゃ~どんだけ掘ったのよ…
太和門から太和殿まで、長い長い通路と階段を歩き…↓
ようやく太和殿まで辿り着きました~
午門をくぐってから太和殿まで15分は歩きますよ~
太和殿は紫禁城の中心となる建物で、皇帝の即位や婚礼、祭典、式典などは、すべてここで執り行われていたそうです。
太和殿~階段までの広場↓は、即位式で幼い溥儀がコウロギの鳴き声を追って歩き回ったシーンを撮影した場所です。
太和殿の階段の上から太和門を眺めた様子↓。
幼い溥儀が、即位式で家来たちが三跪九叩頭の拝礼をする様子を眺めていた場所です。
【ラストエンペラー聖地4】太和殿の宝座
即位のシーンで、幼い皇帝 溥儀がちょこんと座ったり、立ったりしていた太和殿の宝座↓。
暗い室内のかなり奥まったところにあるため、ろくにみえませんでした。人がいっぱいで撮影するのも一苦労です…
映画では、西太后が亡くなる直前に、天井に吊ってある黒真珠の下までベッドを移動するシーンがありましたが、遠すぎて天井など全く確認できません…
ラストシーンの中に、平民となった溥儀が故宮に観光に訪れ、そこで出会った男の子に宝座の後ろに隠してあったコウロギを見せるという場面があり、映画では一般観光客でも、玉座の近くまで入れるように描かれていましたが、今は柵があって太和殿の中には一切入れませんでした↑。(柱のそばに立っている人は係員です)
何年か前に観光した人のブログでは、入り口(係員がいるところ↑)まで人がいる写真を見掛けたのですが、今はそこにも入れませんでした。年々傷んできますし、見れる場所も限られてきているのかもしれませんが、この場所を目指して長い道のりを歩いたのにもうちょっと中を見せてほしかったな…
中和殿(ちゅうわでん)
太和殿の裏には、中和殿があります。
中和殿は、太和殿で行事が行われる際の、皇帝の控えの間だったようです。
中和殿は、太和殿よりは近くまで入れます。
【ラストエンペラー聖地5】テニスコートの場所
太和殿、中和殿、保和殿は、白大理石の三重の基台の上に建てられていますが、中和殿の両サイド(西側と東側)には、基台から降りる階段があります。
東側(中和殿に向かって右側)にある階段を下りたところが、テニスコートがあった場所のようです。
西洋人の家庭教師や皇后たちとテニスを楽しんでいたところに、突然、大勢の軍人がやってきて、「1時間以内に紫禁城から出て行くように!」と言い渡されるシーンのロケ地です。
この場所は、中和殿の右横から保和殿に向かう途中にあります。
保和殿側から撮影した写真↓。太和殿の後ろの、中和殿の横になります。
階段を下りたところから中和殿、太和殿を眺めると、映画に出てきたシーンに近い風景が見れると思います。
保和殿(ほわでん)
中和殿の後ろには保和殿があります。
官吏(役人)の採用最終試験が執り行われた場所なのだとか。
保和殿の中はこんな感じ↓
保和殿の裏手(北側)に、9匹の龍を彫り込んだ皇帝専用のスロープ「大石雕(だいせきちょう)」がありますが、こちらは巨大な1枚岩なのだとか↓。
故宮には至る所にこの龍のスロープ(レリーフ)があり、皇帝はお輿に乗ってこの上を通り過ぎたそうですが、こちらの保和殿のものが最も巨大なのだそうです。
遠くの山から切り出した巨石を、何mかおきに井戸を掘って、冬場に井戸の水を撒いて凍らせ、その氷の上を滑らせて大勢の力を使って1ヶ月ほどかけて運んだのだとか。壮大な話です。
乾清門(けんせいもん)
保和殿の1枚岩の龍のレリーフの先にあるのは「乾清門(けんせいもん)」↓。
門の左右にハの字型になっている「瑠璃照壁(るりしょうへき))という飾り壁が特徴的です。
乾清門をくぐった奥は、皇帝一家が暮らした内廷(ないてい)と呼ばれるプライベート空間になります。
溥儀や西太后が暮らした居住スペースも見ることができるようですが、残念ながらこのツアーでは見れませんでした。
私たちは乾清門をくぐらずに、右折して寧寿宮区の方に向かいます。
九龍壁(きゅうりゅうへき)
九龍壁や珍宝館があるゾーンは寧寿宮区(ねじゅきゅうく)と言って、別料金が掛かります。
九龍壁に行くまでの間に、日陰にベンチが並ぶ休憩スポットがありました。
↑の屋台で購入した「草苺冰沙」。苺のフラペチーノみたいな飲み物。美味しかったです。
長さ30m弱もある九龍壁↓。
龍は皇帝を表し、九は最大の陽数であることから、9は皇帝を表す数字とされている。(陽数=陰陽説においての奇数のこと)
本当に中国はあちらこちら龍だらけで、中国国民が龍好きなのも頷けます!
ちなみに鳳凰は皇后を表すそうです。
珍宝館(ちんぽうかん)
紫禁城のお宝が展示してありました。
昔、台湾に旅行に行った際に故宮博物館を見学しましたが、「紫禁城にあった清朝のお宝のうち、一番価値のある品は蒋介石によって台湾に持ち出された」とガイドさんが言っていました。紫禁城にあった所蔵品は今でも台湾と中国(北京と南京)に分かれて保管・展示されているようです。
台湾の故宮博物館で一番価値があるのは”白菜の形をした翡翠”だと教えられ、すごく小さくて「え?これが一番価値があるの?基準がよくわかんね~」と驚いた記憶がありますが、外に持ち出せなかった大きな品はこの北京の故宮博物院に今も残されているということなのでしょう。
珍妃井(ちんぴせい)
光緒帝のお妃の珍妃(ちんぴ)が、(義理の)姑の西太后に嫌われ、投げ込まれて殺された井戸。
井戸はすでに塞がれている感じでした↓。
【ラストエンペラー聖地6】外東路
寧寿宮区(有料区域)から出て、しばらく歩くと、内廷と寧寿宮区の間に走る「外東路」があります。
少年の溥儀が自転車に乗っているシーンが印象的な通路です。母が亡くなって泣きべそをかきながらこの通路を通ります。
乳母が城から出される際にも、乳母の乗ったお輿を追いかけて、幼い溥儀が泣きながらこの道を走っていたシーンもありました。
ここは、午門と並ぶラストエンペラーの聖地です!
神武門(じんぶもん)
紫禁城の裏門である神武門。
この門から外に出て、故宮のツアーは終了…
景山公園
景山公園は、故宮の神武門(裏門)を出て、道路を1本挟んだ更に北にありますので、地下道を使って道路を渡り、ちょっとした山寺に上るような感じで15分くらい歩きます。
↓は故宮から写した景山公園ですが、山の上に建ってる建物まで登りますから、故宮を観光した後なので、かなり足腰に堪えます。70代の母も何とか上っていましたが、かなり無口になっていました。
景山公園は、故宮を作った時に出た土を積み上げて作った人造の山で、頂上には「万春亭」があります。
万春亭からの景色は絶景と言われており、南北に建物が一直線に並ぶ故宮の全景を、上から見下ろすことができました↓。
そして景山公園を後にして、故宮観光は終了。
故宮の東門前で車を降りてから、景山公園を出るまでの所要時間はざっと2時間半でした。
故宮博物院をツアーで巡った感想
個人的には、珍宝館、景山公園をなくしてでも、皇帝のプライベート空間である内廷までじっくり見たかったです。
隅々まで見学したら何日もかかりそうな、広い広い故宮でしたが、もう少しゆっくり回れると良かったな…
もしいつか再び訪れることがあれば、天安門の門楼に上って上から天安門広場を眺めてから、端門・午門まで歩き、午門の門楼に上って外廷・内廷を見て回りたいと思います。
ラストエンペラーの聖地巡礼も、中途半端な情報しか載せられませんでしたが、次に訪れる時があれば、紫禁城を追われた溥儀が、満州に行く前に数年間だけ過ごした天津の洋館が残っているそうなので、天津にもぜひ訪れたいです。北京から天津は新幹線で30分ほどで行けるのだとか。
また、溥儀が皇帝となった旧満州国の跡地である”長春”にも、当時のままの施設が残されているようですが、北京と長春はかなり距離が離れているため、同時に観光するには時間もお金もかかりそうなので私には厳しいかもしれませんが、行けるチャンスがあるといいな。
今回の北京の旅については、高齢者の母と行く北京ツアー旅行 にまとめておりますので、気が向いたらご覧になってくださいね。
以上、拙い記事を最後までお読みいただきましてありがとうございました<(_ _)>
これから北京、故宮を訪れる方の参考になれば幸いです。